Thursday 2 September 2010

vol.384【コラム】沢尻エリカは沢尻エリカでいることしかできない

テレビ朝日「スーパーモーニング」の取材をうけるエリカ


沢尻エリカがテレビ朝日「スーパーモーニング」の独占取材で泣いて謝罪したのは「演技」だったとアメリカCNNのニュースサイトに語ったのだとか。たまたま、その独占取材のシーンをテレビでみていた私はたぶん「謝罪」の言葉は事務所に言わされたことだと感じた。彼女自身から「なんで私が謝らなきゃいけないの?」という納得していない様子が伝わってきたらからだ。(後に途中で密室で事務所との話し合いが持たれたこともわかっている)
そしてあの涙は「謝罪の涙」ではなく「悔し涙」だと感じた。


今回「演技だった」と報道されてるのは、あの涙や振る舞いがすべて演技だったという意味ではなくたぶん英語の解釈の違いで「あの謝罪は私の真意ではない。強要されてやっただけ。」という意味だと思う。


某エステの記者会見でも同様の違和感を持った。たぶんそう感じたひとは多いと思う。
無駄に大人ぶって、彼女の言葉では語らなかった。彼女は何をしても最終的には本当の自分がひっこんでいられないのだから、エリカはエリカでいればいいのに。下手に大人ぶったりせず、そのままのエリカでいればいい。何かを取り繕うことは彼女には絶対に無理なのだから。
そのままの彼女でいても、ついてきてくれるひとはついてきてくれるのでは?ただし、去っていくひとは去っていく。そこに、彼女が本当に必要としているひとがいなければいいけど。

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