Saturday 11 April 2009

vol.228 【コラム】 「野球」を愛するということ Field of dreams



私の大好きな映画にFiled of Dremasというのがある。



ある日ケビン・コスナー演じるとうもろこし農家を経営する男のところにある「声」が聞こえるようになる。



「それを作れば、彼はやってくる。」



 ”彼”とは誰か、”それ”とは何か。夢を忘れて生きてきた男は、この声をきっかけに自分の夢を思い出すようになる。彼は、自分の勘だけを頼りに、収穫を直前に控えたとうもろこし畑をつぶして、野球場を作ってしまう。



「そうだ。僕は、野球を愛していた。」



そんな思いからだった。


しばらくすると、すでにこの世を去った有名選手たちが若き全盛期のままの姿で、その球場に現れた。彼らは皆、現役時代に何かしらの未練を抱えていた。しかし、夢を忘れた人たちには見えない。現役時代のままの姿で、試合をする有名選手たちを通して、野球を愛していた父のことを思い出していく。ケビン・コスナー演じるレイにも、父との過去に未練があった。そしてその先に待つ、この幻の球場が持つ意味とは。




脳梗塞に倒れながらリハビリで歩けるようにまで回復した長嶋巨人終身名誉監督は、「これからの目標は?」と記者に聞かれ「野球だね。」と答えた。その記者は「第二の人生の目標は?」という意味で聞いていたが、意表をつく長嶋氏の答えに言葉をつまらせた。間髪いれず「また監督やりたいので。諦めてません。球場で死ねたら、本望だろうね。」と言うソフトな声に、その場の記者たちは更に何も声を発せなくなった。


「野球」を愛すること。


第二の人生など野球を愛するひとにないのかもしれない。
それは野球を愛するひとにしかわからない。




こんな二つのエピソードを思い出したのは、先日22歳のメジャーリーガーの悲しい事故があったから。
ロサンゼルス・エンジェルスのルーキー、ニック・アデンハートは好投を見せた夜、飲酒運転の車に突っ込まれ交通事故死した。22歳。この日、今期の初登板を見に、父親もメリーランド州のボルティモアに来ていたそうだ。期待されたルーキー。
彼も映画の中で「アイオワの天国」と言われるとうもろこしの野球場に来て、愛した野球をまたできるのだろうか。





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